『アルジャーノンに花束を』あらすじと感想

本の紹介&感想

こんにちは!あんずです。
今日は、読書感想の一つ目の記事をアップします!

紹介するのは、『アルジャーノンに花束を』です。
この本は世界的にとても有名なので、みなさんの中にもタイトルを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?聞いたことあるけど読んだことないという方、初めて聞いた方は、ぜひ以下のあらすじをご覧ください!泣ける本が読みたい方、大切なものは何かを考えたことある方におすすめです!

読んだことあるという方も、後半に感想を載せていますのでご覧いただけると嬉しいです!

基本情報&あらすじ

ダニエル・キイスによる『アルジャーノンに花束を』は、もともと1959年に発表され、いくつか賞も取っています。
今回は、小尾芙佐(おびふさ)さんによる訳語版を読みました。購入した本の帯には「10代に薦めたい泣ける本第一位」と打ってあったように、うるっとくる部分もありました。

さて、あらすじです。
主人公は、チャーリイ・ゴードン。彼は、病気によって32歳になっても幼児並みの知能しか持っていません。パン屋で雑用として働かせてもらいながら生活をしていた彼に、知能をあげる手術を受けないかという話が舞い込みます。その話に乗って手術を受けたチャーリイの知能は、急速に向上していき、彼の思考や生活は一変し、周りの人たちも彼の変化を受けて徐々に変わっていく…というお話です。

タイトルにもあるアルジャーノンというのは、チャーリイと知能テストにおいて競争したネズミの名前です。
「アルジャーノンって素敵な響きの名前だなぁ」と昔から思っていましたが、アルジャーノンがネズミの名前だとは知らず、それを知った時は多少びっくりしました。
ちなみに、元の英語タイトルは”Flowers for Algernon”です。

感想

※あくまで私個人の感想です。また、ネタバレを含む可能性があります。ご了承ください。※

この本がどんな本であったかを一文で説明しようとすると、私なら「人間を知能という切り口で一直線に並べた時、ほとんど両極端を経験したチャーリイの目を通して、人間にとって大切なものはなにか、幸せとはなにかを考えさせられる物語りだった」と言います。
また、読了後にもう一度「日本語版文庫への序文」を読んだ時、「他人に対して思いやりをもつ能力がなければ、そんな知能など空しいものです。」という著者の言葉こそがこの物語りのメッセージとも言えるなと思いました。

物語り内の表現については、著者の「経過報告書」の書き方によってチャーリイの知能レベルを表現する力が素晴らしいと感じました。違う知能レベルを表現するには、文章の稚拙さや洗練され具合を変えるだけでなく、もちろん思考の深さや方向性を変化させることが必要ですが、それらを上手く捉え、チャーリイがものすごいスピードで知能レベルを上げる過程を「経過報告書」に落とし込んでいます。
また、この物語りでは訳者の存在もとても重要になります。文法構造の違う英語と日本語では、著者の表現を殺さずに自然な日本語に訳すというのは大変な作業だっただろうと思います。

物語りに込めたメッセージという観点では、人間にとって大事なことは何か、人間の弱さなど、色々と考えられるところはあると思いますが、ここでは普通であることという点に焦点を当てたいと思います。
世の中には、ある集団において普通であること、標準であることが良いことだ、重要だという考え方があります。これは、社会を上手く機能させるためには都合が良いことが多いでしょうが、こういった一辺倒な考え方の中で、人と比べて知能が低いチャーリイはずっと不利な立場に追いやられてきました。

自分とは違い、自分より劣っている相手のことを、知ってか知らずか上から目線な態度で接したり、勝手にかわいそうと決めつけて接するというのは、多くの人が無意識のうちに一度は経験したことがあると思います。しかし、そんな態度が相手の尊厳を傷つけることもあるでしょうし、差別につながるかもしれません。
このことを頭では理解していていたとしても、偏見を取っ払って人と接するというのは難しいことです。どれほど難しいかということが『アルジャーノンに花束を』でも描かれており、人間としての尊厳が傷つけられるような扱いを受け、そんな扱いに怒りを覚えていたチャーリイ自身でも一時忘れてしまうというエピソードがありました。

逆に、自分より優れている方向で自分とは違う人に対しては、嫉妬などのネガティブな感情が追加されてしまうことも多く、これも具合が悪いのです。
自分とは違うと線を引いて接することをやめ、すべての人とフラットに接するというのはなかなかできることではありませんし、さらにはその姿勢がいついかなる場合でも最善だとも思いません。ある問題に取り組むためにはまず現状を正しく認識する必要があり、つまり違いを認識することが重要な場合も多いでしょう。

では、例えば人間関係において、良くない線をどうしても引いてしまう場合はどうしたらいいのか。
そんな時こそ、著者が大切だと訴える思いやりをもつ力の出番ではないのでしょうか。思いやりがなんであるかは、物語りの中では具体的に言及されていません。しかし、人間としてのあたたかさ、相手を尊重する態度、人間の尊厳を尊重する姿勢、というものは思いやりの形として描かれていたように思います。
無意識に線を引き、日々の生活の中で差別的なものの見方をしている可能性は、誰にとっても十分にあります。しかし、そこで相手を自分と同じ一人の人間であるという前提のもと、尊重することが大切なのだと思います。

ただ、読み進める中で違和感を覚えたのは、チャ―リイに手術を受けさせることについて、倫理的な観点から批判する人が登場しなかった点です。現代であれば、チャーリイが受けた手術はエンハンスメント(本来治療目的で開発された医学的な介入手法を、元々の目的から外れて身体的もしくは精神的機能を向上させるために用いること)と呼ばれる介入に該当すると考えられ、倫理的にかなりの批判を受けることになると思います。
しかし、この本が書かれたのは1959年なので、研究倫理が発展段階にあり、生命倫理も学問として台頭する前であったという背景は考慮する必要があることは承知しています。

おわりに

いかがだったでしょうか?
今回私が読んだ本は以下のバージョンです。よろしければチェックしてみてください!

他にも、色々な本のあらすじや感想を紹介していますので、よろしければご覧ください!

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