『私を離さないで』あらすじと感想

本の紹介&感想

こんにちは!

今回紹介するのは、カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで』です。

カズオ・イシグロさんは数年前にノーベル文学賞も受賞されており世界的に有名な作家ですので、お名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?

『わたしを離さないで』は、そんなカズオ・イシグロさんの代表作の1つです。

この本を特におすすめしたいのは、心揺さぶられる本を読みたい人、ある物事がどうあるべきか考えたい人です!

あらすじ

あらすじを紹介する前に、一言。

これから『わたしを離さないで』を読もうと思っている方、もしくは検討されている方は、あらすじを読まずに読み始めることをおすすめします

つまり、この世界観へは事前知識のない状態で入っていった方がよいだろうという意味です。

『わたしを離さないで』の解説を担当した英国文学研究者である柴田元幸さんも解説内で以下のようにおっしゃっています。

…この小説は、ごく控えめに言ってもものすごく変わった小説であり、作品世界を成り立たせている要素一つひとつを、読者が自分で発見すべきだと思うからだ。

『わたしを離さないで』p.442

それでもあらすじ書きになるという方のために、裏表紙を引用する形で最低限のあらすじを紹介しますね。

優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。

『わたしを離さないで』裏表紙より

「提供者」は何を意味するのか。ここが重要ポイントですね。

ここで言う提供者は“donor”です。英語が堪能な方であれば、ピンとくるかもしれません。

ちなみに、元のタイトルは“Never Let Me Go”です(カズオ・イシグロさんは日本で生まれましたが、5歳の時に渡英しその英国の国籍を取得しています。ですので、原文は英語で日本語版は翻訳されたものです)。

感想

※あくまで私個人の感想です。また、ネタバレを含む可能性があります。ご了承ください。※

不自然な穏やかさ

『わたしを離さないで』は、私にとって穏やかで不気味な物語りでした。私の感覚では不自然に感じる穏やかさが、不気味さを醸し出している、といった方がよいでしょうか。

なにが不自然な穏やかさをまとっていたかというと、キャシーをはじめとする、提供者になるという将来を決められた生徒たちの在り方です。

もちろん、キャシーたちの日々の生活の中には感情が激しく動かされる出来事や思い悩むこともあり、彼らの日々の生活を指して不自然に穏やかだと言いたいのではありません。

不自然に穏やかなのは、自分たちは将来提供者になるという使命を完全に受け入れているように見え、それに反発する描写が少なくともわたしは無かったと思うからです。

「本当に愛し合っている2人が提供までに3年の猶予をもらう」というのは運命に対する抵抗だという人もいるかもしれませんが、それでも最終的な運命を変えてほしいと願っているわけではありません。さらに、これは「マダムにお願いして猶予をもらう」という、いわば彼らにとって権力がある人にお願いするというという形を取っています。

つまり、あくまで提供者や生徒たちが生きるシステムの外には出ようとしていないということです。

運命に逆らうなら、愛する人と駆け落ちする、徒党を組んで制度に対して反発する、究極には権力者の思う用にはさせまいと自死するという選択肢だってあると思うのです(キャシーとトミーがエミリ先生に会った後にあれだけ感情を爆発させたって、お行儀よくセンターに戻るのです)。

ヘールシャムの教育の力

この、提供者・生徒たちが自分の使命を穏やかに受け入れ、使命に逆らうという可能性すら考えていない様子を見て、「ヘールシャムの教育は、そこまでの力があるのだろうか」と思いました。

確かに、生徒たちには「親」はいないも同然です。そして、育ての親が保護官とも言えるのでしょう。

さらに、ヘールシャムでの「他の大事なものごとに混ぜつつ、少しずつ生徒たちに自分たちのこと、自分たちの使命のことを教えていく」という教育方法も、「お行儀のよい生徒(将来の提供者)を育てる」という意味では効果的だったのかもしれません。

しかし、このようなやり方で、生徒たちは自分たちのこと、使命のことを本当に理解していたのでしょうか。心からの理解というより、暗示であったと捉えると、不気味な穏やかさというものの説明もしやすくなる気がします。

また、ヘールシャムを出た後にコテージなどで数年を過ごすという制度にも、どういった意味があるのでしょうか。コテージでの生活は制限が少なく、これまで触れてこなかった外の世界を自由に行き来できます。都会にだって行けるし、そこでは親子の姿やご老人の姿、自由に職業を選んでいる若者だって見たでしょう。

その時も、「なぜ自分たちは提供者として短命であることが決められているのだろう」という疑念が描かれていないのです。

エミリ先生について

また、キャシーとトミーが最後に再会したエミリ先生の様子も、私にとっては不気味でした。

ヘールシャムの先生として働いていた若い頃のエミリ先生には苦悩があったような描写がありました。しかし、老年のエミリ先生は、大人になった元教え子(つまり、使命を終える日が近いということです)が訪ねてきても、落ち着き払って淡々と聞かれたことに答えます。淡々と。

エミリ先生が使った、「キャシーたちヘールシャムの生徒たちは、私たちのおかげで全国にある他の施設の生徒たちよりずっと恵まれていた」という理屈です。

これは、非常に曲がった論理だと思いました。大きく見れば、エミリ先生たちはこの憎むべき制度の永続に加担した側の人間です。それを、この制度の被害者であるキャシーたちに、「あなたたちは私たちに感謝すべきだ」と言っているのです。

これも見方を変えれば「エミリ先生たちだってこの制度の被害者だ」と言うこともできるのでしょうか。

まとめ

長々と書いてしまいましたが、この物語りを通してカズオ・イシグロさんは何を伝えたかったのでしょうか。

技術の発展によって可能となる世界がどうあるべきか(どうなってはいけないか)、人は疑問を抱くことなくなにかを奪われているかもしれないということ…

この制度の詳細や制度ができた経緯、そして提供を受ける側の人については全く触れられていません。終始キャシーが過去を振り返る形で物語りはすすみます。

ここにもどういった意味があるのか…一人ひとり、読み終わったら考える時間が取れるといいだろうなぁ、と思います。

おわりに

いかがでしたか?

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