【共感覚】共感覚者だと知ったきっかけは?メリット・どう接すればいい?

よしなしごと

こんにちは!
以前こちらの記事で共感覚とは何かについてご紹介しました。今日は、共感覚を持つ私の個人的なエピソードを紹介します。

自分が共感覚者だと気づいたきっかけや、これまで感じた共感覚を持っているメリット、また共感覚を持つ人や子どもにどう接したらいいのかについての個人的意見もまとめていきます!

共感覚者と気づいたきっかけ

他の人の共感覚についての体験談を見ると、共感覚者だと知ったのは高校生の時や大人になってからなど、ある程度年を重ねてからという人も多い印象です。私が共感覚者だと気づいたのは、小学校高学年の時だったので、比較的早い方だったのかもしれません。それでは、その時の様子を書いてみようとお見ます。

共感覚者と知った時

ある晩、夕飯を食べた後いつものようにリビングでくつろいでいた時、私が「○○(確か当時のクラスメイト)の名前ってきれいな〇色してていいよねぇ」というようなことを話の流れで言いました。それを聴いていた母が、「え、どういうこと?」と私に聞きましたが、私も「え?」という反応。なぜなら、私からしたら他の人は名前に色が見えていないということを知らなかったので、なぜ母が私の言ったことに対して問い返してきたのかわからなかったのです。

そこで少し不思議がりながらも、私は文字に色が見るんだ、この人の名前はきれいな色なんだと母の質問に答えました。すると母は、その感覚は自分は持っていないこと、普通文字に色は見えてこないことを私に伝え、インターネットでその感覚について調べ始めました。すぐに共感覚と言う言葉がヒットし、その時初めて自分は共感覚というものを持っていること、そしてそれは多くの人は持っていないことを知りました。

この時母は、「そんな感覚を持っていたなんて今まで知らなかった、すごいね!」とポジティブに共感覚を認めてくれました。その後は、家族の名前は何色に見えるのか、実際どういった見え方なのかなど、共感覚について2人で楽しく話した記憶があります。

振り返ってみると、この時の母の反応は私が自分の共感覚をどう認識するかに大きな影響を与えていたと思います。母がポジティブに認めてくれたこと、さらにすごいねと言ってくれたことで、共感覚を自分の一つの個性として捉えることができました。そして、それは今でもそれは変わっていません。もし、あの時母が「なにそれ、色が見えるわけないでしょ」「それは変」などと共感覚を否定するような反応をしていたら、共感覚という名称を知ることはもっと遅かっただろうし、その後共感覚者であるということを知ったとしても「大好きな母に否定されてしまったものだしなぁ」という気持ちから、捉え方は今とは違っていたと思います。

共感覚を持つことのメリット

私の経験上、生活の中で共感覚が役に立ったと感じたことは電話番号など数字を覚える時英単語のスペルミスを発見する時です。順に紹介します!

電話番号など数字を覚えることに役立つ

私にとって、数字は以下のように見えます。結構カラフルにはっきりと見えるので、電話番号を覚える時、また最近は二段階認証のための数字入力など、色が助けになってくれているなぁと感じます。

1と0は見えやすいように縁をかこっています

英単語のスペルミスを発見しやすい

もう一つのメリットは、英単語テストの時や英文を書いているもしくはタイピングしている時、スペルミスを見つけるために共感覚が役に立っていると感じます。

アルファベットも数字と同じくらい色がはっきり見えるので、スペルミスをした時は「ん、なんか色に違和感」とまず直観的に感じて、そこからどこが間違っているのかしっかり確認する、ということが多いです。最近は手で書く機会がグッと減って代わりにパソコンを使うことがほとんどですが、パソコンでタイプミスをすると一瞬で赤波線で教えてくれるので共感覚の出番は前よりは減ったかなと思います。高校の単語テストや英語の定期テストの時、また大学の授業の一部で共感覚にはお世話になりました。

共感覚について思うこと

私は、色字共感覚を私の個性の一つだと思っています。共感覚者だと知った時母がすごいねと言ってくれたので、当時は共感覚を持っていることが嬉しく、少しだけ誇らしくもありました。しかし、当時からは時間が経ち、落ち着いて考えたり共感覚のことについても知っていることが増えました。共感覚に関する書籍や体験談を読んだことで、私は他の共感覚者と比べて共感覚が生活に与えるメリットやデメリットが少ないのかなと思うようになり、共感覚は一つの個性であり、私の場合はそれを持っていることを特別誇ることでもないなと思うようにもなりました。

芸術家には共感覚を持つ人が多いそうです。そういう人の中には、共感覚が創作を助けている人もいるでしょうし、その場合は何かを成し遂げるためのちょっとした影の立役者的な役割を果たしたとして、共感覚を誇る人もいるかもしれません。それは素敵なことだと思うし、私が人のことをダメだということもできません。ただ私は共感覚は一つの個性だな、程度の認識をしているということです。

この認識を踏まえると、共感覚を持つ人に出会った時は、それをその人の個性の一つとして認めて尊重してもらえるとその人も嬉しいのではないかと思います。特に、自分の子どもが共感覚を持っていて、共感覚に対する人生で最初の反応が否定的なものだと悲しい。あなたの感覚からしたら変だと思うことをもし子どもが言っても、それを一蹴したり頭ごなしに否定するのではなく、興味を持ってどういうことなのか聞いてみてあげられたらいいのだろうなぁ、と思います。

また、友だちなどで共感覚を持つ人と出会っても、基本的には好意的な興味を持ってあげたら良いと思います。私は自分が共感覚者であることをあまり人には言わず、家族と親しい友人数人にしか言っていませんが、やっぱり好意的な興味を持って適度に質問してくれた時は嬉しかったです。

共感覚者が自身の共感覚をどう捉えているかは人それぞれだと思います。自分の大事なアイデンティティの一つと考えている人もいれば、大変な経験が多くあまり良くは捉えていない人もいるかもしれません。ですので、その人と良い関係を築く・楽しい時間を過ごすなど、人と付き合う上で大切なことを見失わずに、その人の反応を見つつ楽しく共感覚について知ってほしいなと思います。

おわりに

いかがでしたか?

共感覚者である望月菜南子さんが自身の共感覚についての体験を綴ったエッセイ『1は赤い。世界は緑と青でできている』のあらすじや感想についても記事にしていますので、よろしければご覧ください!

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